人々が「投資」できるものの多くは、「ギャンブル」にもなり得る。では、「ギャンブル」といわれるものと「投資」といわれるものの違いは何か?
私はギャンブルには3つの共通点があると考える。
1.ロジックに基づいていない
2.オッズが不利なため、長期的にはお金を失う
3.主に娯楽のためにある
これらギャンブルの3つの側面をさらに詳しく見てみよう。
ロジックに基づいていない
人々がギャンブルをするとき、彼らのプレイは論理や数学に基づくものではなく、直感、迷信、ランダムな出来事、運などに基づいている。そして、ご存じのとおり、多くのギャンブラーには「独自のシステム(攻略法)」というものがあり、彼らは自分の判断を永遠に正当化し続ける。しかし、そのシステム(またはその判断)をロジックや数学で論理づけることは可能なのか?彼らの意思決定が導き出す最終結果をコンピューターでシミュレーションできるのか?コンピューターシミュレーションでなくても、そのギャンブラーは実績を証明するのに十分なデータを持ち合わせているのか?いすれの場合も答えはノーである。
オッズが不利なため、長期的にはお金を失う
娯楽プレイヤーがギャンブルをするとき、そのほとんどはハウス側(またはプロポジションべットを受けてくれた人)が有利になる。オッズが自分に不利たと知らない人もいるし、自分のとっておきの「システム」が必勝法たと信じている(懸命に祈っている)人もいる。しかし、現実にはオッズが不利であれは、いかなる場合もギャンブルをしていることになる。その動機、意図、または信念が何であれ、ギャンブラーは常にオッズを無視しようとするのである。
最も分かりやすい例は宝くじたろう。一般的な2ドルの宝くじの期待収益は0.32ドルである。つまり、宝くじのほうがこれを購入したギャンブラーに対して84%有利だ。この事実にもかかわらず、アメリカ人は宝くじに毎年700億ドル以上を費やしており、そのうち590億ドルを失っている。1ドルあたり0.84ドルを無駄にしてしまう理由は何なのか?これは、彼らが不利なオッズを克服し「選ばれし者」になる夢を買っているのである。たしかに、どこかの誰かに必ずジャックポットは当たるのたが、それをあなたが実現するためには天文学的なオッズに勝たなければならない。
ギャンブラーという生き物は、勝ったときの話をするのが大好きである。しかし、彼らの数百時間分の実績を見られたとしたら、それは赤字だらけになっているはずだ。これが「ラスベガス」が「ロストウェジズ」(失われた賃金)と揶揄される理由である。十分に時間が経過すれば、ギャンブラーたちは自分の信念、システム、希望、そして夢、つまり娯楽のために必す大きな代償を払うことになる。
主に娯楽のためにある
なぜ人はギャンブルと知りながら(もしくは知らずに)懸命に稼いだお金を使ってしまうのか?毎年、数千万人ものアメリカ人がギャンブルをする理由は何なのか?単純にいえば、それが娯楽だからだ。アメリカのカジノが毎年700億ドルもの売上を記録する理由は、よく言えば短期的な娯楽を、悪く言えば依存性のある現実逃避をカジノが提供しているからである。私は娯楽のためにギャンブルをすべきか否かの議論をするつもりはない(ちなみに、個人的にギャンブルはリスクが高くリターンが低い遊びたと考えるが)。私が言いたいことは、ギャンブルをするときには、現実を正直に受け止めるべきだということだ。プレイヤーに不利なオッズのゲームであれば、それはギャンブル以外の何ものでもない。
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